僕たちは幸せになるためで始まる浜崎あゆみの曲は「Voyage」である。
読みはボヤージュ、いや、ヴォヤージュだ。
なぜか分からないが、私はボイジャーと覚えていて、
「浜崎あゆみのあの…ほら…ボイジャー!」と妻に言ったら、昔の漫画版のび太くんみたいに、「プーっ」っと笑われてしまった。
しかしこの曲、何ていい曲なのだろう。
PVも観たら、伊勢谷友介と糸井重里が出ていて、何だか懐かしくなった。
幸せになれない朝
本日は晴れていてとても気持ちがよい。
昨日で大きな仕事が終わったので、非常に清々しい気持ちで朝を迎えた。
しかし、たった今、さきほど、急転直下で非常にヘビーなことが起こってしまい、あの清々しい気持ちは雲散霧消してしまった。
生来のネガティブ気質なため、一度こういうことが起こると、しばらく引きずってしまう。
しかも、せっかく良い気分だったところにこれだから、こたえる。
はぁ…
もう…
このまま仕事をほっぽって、寝てしまおうか…と思ったが、なんだかこのままやりたいことをやれない一日になるのも嫌なので、この記事を書いている。
そんな時、頭に浮かんだフレーズは、
僕たちは幸せになるため…
僕たちの旅はまだ終わっていない
そうだった。
昨日で、非常に大きな仕事が終わったので、もう旅が終わったかのように錯覚してしまっていた。
もう、全クリしたような気持ちになっていた。
ロンダルキアへの洞窟を抜けて、すでに破壊神シドーを倒したような気になっていたのだ。
そんな自分へ、ルビスの精霊がこう囁いているのかもしれない。
「あなたのたびはまだ、おわってはいませんよ」
あぁ、もうずっと平和な街で一生暮らそうと思っていたのに、もうこの塀の中でいいから、外の世界のことは調査兵団に任せて、酒を飲んで暮らしていきたかった。
しかし、人生というのは、なんて果てしない物語なのだろう。
ミヒャエル・エンデもびっくりだ。
僕たちは、いや、僕は、幸せになったのだと錯覚していた。
僕たちは幸せになるため、この旅路を行くんだ。
それはつまり、幸せな状態のまま、この旅路を行くことはできないということだ。
あゆは、この長い旅路を、幸せになるため、愛を求め彷徨う旅人による旅路だと定義した。
なんだかこの先も、厳しい旅になりそうだ。
幸せになるための旅路は誰と
しかし、幸せが全く感じられない旅というのも辛い。
何とかこの旅を、少しでも楽しい旅にするにはどうすればよいのだろうか。
浜崎あゆみの歌う「Voyage」は、厳しい人生という旅路しか、示してくれないのだろうか。
そんなことを思っていたら、あゆは最後に、こう歌った。
共に行こう飽きる程に
そうか。
そうだったのか。
僕たちは幸せになるため、厳しいこの旅路を行くのは確かだが、決して一人ではないのだ。
そうだ。
そうだった。
僕には、浜崎あゆみがついているのだ。
あゆが飽きる程に、僕の旅路を共にしてくれるという。
こんなに心強いことはない。
何せ、あゆが連れ添ってくれるということは、もれなく周りのあの屈強な外人さんたちも一緒についてきてくれるということなのだから。
しかも、飽きる程に。
なんだ。
この旅路は、僕と浜崎あゆみと屈強な外人さんたちとの賑やかな旅だったのだ。
それはさながら、強敵を倒しながら旅を続ける、麦わらの一味のようだ。
そういえば、あゆは何かの曲で、麦わら帽子みたいな帽子を被っていたじゃないか。
なんだ、そうだったのか。
もう怖いものはない。
「Voyage」とは「航海」という意味らしい。
海賊王に、俺はなる。
そう呟いたのは、とある晴れた朝のことだった。